「巨乳」という属性は、ACGキャラクターから現実世界まで、昔から絶大な人気を誇っていますよね。もちろん、「貧乳」派の皆さんもいて、大小それぞれに熱い支持者がいるのはご存知の通り。
先日、日本のX(旧Twitter)で胸の審美眼に関する投稿がまさかの大論争を巻き起こしました。発端は、あるポスト主が自信満々に放った「人類の歴史上、貧乳が流行ったことは一度もない」という一言。コメント欄は瞬く間に大量の史料や冷知識で埋め尽くされ、まるで一瞬で歴史討論フォーラムに早変わり!多くのネットユーザーがその知識量に度肝を抜かれました。

そう、このXでの胸の審美眼に関する議論。巨乳と貧乳について語り合う中で、あるポスト主が突然「人類のこんなに長い歴史の中で、貧乳が社会的に認められた瞬間なんて、一秒たりともなかったんだよ。」と断言したのです。

この発言に対し、Xユーザーのつぇるしゅてーらー(@TwitteeJapan)さんが引用リポストで猛反論!
江戸時代には小胸の審美眼が非常に流行し、むしろ巨乳よりも人気があったと指摘しています。彼は日本の歴史研究書『いろの辞典』を引用し、当時の社会では小胸の女性の方が情欲に敏感だと考えられていたこと、さらには「巨乳=おバカ」という偏見まであったことを紹介。そのため、当時の多くの女性が「乳布(ちちぬの)」と呼ばれる布で胸を締め付け、胸の形を隠していたとか。この風潮は1960年代まで続いたそうです。
さらに彼は視点を世界に広げ、中世ヨーロッパ(5~10世紀)ではキリスト教の影響で、胸の膨らみは「不作法」と見なされていたことを解説。胸を締め付ける「コルセット」が発達し、当時の人々は乳房の谷間を「悪魔の隠れ家」とまで呼んでいたそうです。一説には、少女の胸に毒芹(ドクゼリ)を塗って、胸が大きくならないように願ったなんて話まであるとか。
中国の古代文化も「胸が平らなほど高尚」という考え方が代表的で、胸を覆い隠す「抹胸(マオシオン)」「肚兜(ドゥドゥ)」「小馬甲(シャオマージア)」といった衣装が流行。文化大革命の時代には、少女たちが自ら胸を平らにするよう求め、女性の身体のラインを強調しないことが重視されたといいます。
この説には他のユーザーも同意。「平安時代もそうだったよね。特に和服を着る時、小胸の方が着崩れしにくくて、服が体にフィットするから当時の美意識に合ってたんだよ。だから、多くの人が胸を小さくしたがってたんだ」といった声も。
中には「江戸時代の貧乳文化ってマジだったんだ!漫画『魔乳秘剣帖』がデタラメじゃなかったんだね(笑)」なんてジョークも飛び出しました。

多くのユーザーが、まさか胸の議論からこんなにも膨大な各国の史料が飛び出すとは!と驚きを隠せない様子でした。
コメント欄は知識の密度が爆発しているだけでなく、「初めて胸の大小でこんな長文の歴史考察する人見た……マジか」「乳溝は悪魔の隠れ家、このワードで爆笑したわwww」「こんなネタでこんなに史料が出てくるの、ヤバすぎでしょ」といったユーモラスな反応も続々。


ちなみに、巨乳派か貧乳派か、どちらを支持するにしても、それはあくまで個人の好み。あなたが大胸派でも小胸派でも、気軽に「歴史上こんなことはなかった」なんて言わない方がいいですよ。ネットには、いつでも歴史のガチ勢が「歴史の衝撃教育」を開講する準備を整えていますからね、マジでwww。
via: togetter