『ネバーランドにさよならを』監督が『Michael/マイケル』を「酷評」!脚本は簡素、MJと子供の関係を歪曲と批判

(画像:ライオンズゲート)

先日公開され、大ヒット中のマイケル・ジャクソン伝記映画『Michael/マイケル』。そんな中、マイケル・ジャクソンによる児童性的虐待疑惑を告発したドキュメンタリー『ネバーランドにさよならを』の監督ダン・リードが、この伝記映画について公にコメントする機会を逃すはずがなかった。先日、『Michael/マイケル』を鑑賞したリードは、米ヴァラエティ誌に掲載された最新インタビューで、その感想を語った。

リードは「先週末、『Michael/マイケル』を観に行った。冒頭のマイケルの幼少期については、なんとか受け入れられた。しかし、彼の甥ジャファーが演じる大人になったマイケルにカメラが移った瞬間、私の抱いていた期待は打ち砕かれた。彼のダンスは確かに素晴らしいが、演技は非常にぎこちなく、その一因は脚本があまりにも簡素だからだ」と切り捨てた。

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リードはさらに批判を続けた。「彼はまるで蝋人形のようで、ジュークボックスの曲を演じるだけで、マイケルの内面的な感情は全く表現されていない。映画の中の彼は、性欲のないプラスチック人形のようだ。もちろん、映画は彼と子供たちの関係を完全に歪曲し、彼を風変わりで成長しきれていない子供として描いているが、我々はそれが物語の全てではないことを知っている。これは私にとって非常に不快だった。ジャクソンと子供たちの交流が、慈善的な心からのみで、他の動機は一切ないことを示唆している。ジェフリー・エプスタインは偉大な慈善家であり、ハーヴェイ・ワインスタインは偉大な映画プロデューサーだったが、残念ながら彼らの物語には別の側面がある。そしてジャクソンに関しては、彼はある種不朽の文化的現象となり、何事もそれを覆い隠すことはできない」と語った。

リードはまた、「はっきりさせておきたいのは、私はジャクソンの『キャンセル』を呼びかけているわけでも、彼の音楽を聴くのをやめるよう求めているわけでもない。しかし、ウェイドとジェームズ(告発者)の物語も尊重される必要がある。だが、この映画が実際に行っているのは、ウェイド、ジェームズ、そしてジャクソンによる性的虐待を告発した他の人々を、明言こそしないものの、詐欺師として描く意図的な雰囲気作りだ」と強調した。

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リードは続けて、「彼らは、ジャクソンが子供たちを愛したのは、彼が天使のようで、ただ子供たちに優しくしたかったからであり、性的な行為を望んでいたわけではないと主張している。この映画は完全に事実を逆転させている――黒を白、白を黒、2足す2は5だと言っているようなものだ。この映画を観た人は誰も疑問を抱かず、『ネバーランドにさよならを』への反論として真剣に受け止めることはできないだろう」と痛烈に批判した。

リードは、製作陣が反論しようとしたものの、その理由が不十分だと考えている。「この映画は当初、『ネバーランドにさよならを』の告発に応えようとし、初期の脚本ではその方向性も試みられたが、最終的に失敗した(実際に関連シーンは撮影されたものの、当時告発者側と結んだ契約により、映画内で告発内容をドラマ化して描写することは一切できないと判明し、全て削除せざるを得なかった)。そのため、彼らはジュークボックスのような映画を製作したが、ジャクソンが子供たちを愛した理由を説明する、ごまかしのきくようなストーリーを構築できなかったのだ」と述べた。

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リードはまた、「なぜ彼らはこの問題を回避するのか?ジャクソンが幼い少年たちと長時間過ごし、夜には彼らを自分の部屋のベッドに連れて行き、鍵をかけて二人きりになったことは議論の余地がない事実だ。もし誰かが告発すれば、この点だけでも児童性的虐待で有罪となるのに、ジャクソンにとっては痛くも痒くもないようだ。遺産管理人、脚本家、その他の誰一人として、『彼には子供時代がなかったから、子供たちと二人きりで夜を過ごす必要があった』という以外の説明をしていないが、これは全く道理に合わない」と疑問を呈した。

リードは、人が「自分の子供時代が不幸だった」ことを、子供と鍵をかけた部屋で同衾する理由にすることはできないと主張し、そのような言い訳は全く合理的ではないと断言した。リードは、ジャクソンは宗教的な存在にまで昇格しており、宗教の信者は自分の信仰が冒涜されることを許さないため、ジャクソンのファンがアイドルの名誉を擁護する反応がこれほど激しいのだと見ている。

via: Variety