『To LOVEる -とらぶる-』シリーズや『BLACK CAT』、『邪馬台幻想記』、『あやかしトライアングル』などの大ヒット作で知られる漫画家の矢吹健太朗先生。デビューから30年近く経ち、現在は連載を持っていませんが、その人気は衰えを知りません。特に、矢吹先生が描く女の子のかわいらしさは、もはや業界随一と言っても過言ではないでしょう。
そんな矢吹先生が5月4日、自身のXアカウントにて、かつて『ヒカルの碁』の作画を担当された小畑健先生のもとでアシスタントをしていた頃の原稿を公開。18歳で本格的に漫画業界へ足を踏み入れようとしていた当時の思い出を語りました。

矢吹先生によると、これは18歳の終わり頃、ご自身の連載が決まる前に唯一経験したアシスタント時代のもので、『ヒカルの碁』の背景指示が描かれたコピー用紙とのこと。当時はゴミ箱に捨てられる運命だったものを、ご自身で拾ってきたのだそうです。
これらを見るたびに、漫画家という大海原へ船出しようとしていた当時の、興奮と緊張が入り混じった気持ちを思い出す……とのことです。
▼ 『ヒカルの碁』ファンなら見覚えのあるシーンばかりではないでしょうか。


小畑健先生のもとでアシスタントをしていたこの経験が、矢吹先生の確かな画力の礎となり、その後の流麗な作画や緻密なディテール表現に繋がっていったのですね。
そして、このアシスタント経験を経て、1999年に『週刊少年ジャンプ』で初連載作品となる『邪馬台幻想記』を開始します。もちろん、連載開始の前年には『赤マルジャンプ』と『週刊少年ジャンプ』で同名の読切作品を発表していましたが、当時はまだアシスタントの身で、自身の連載作品は持っていませんでした。

矢吹先生は、これらのコピー用紙が何なのかピンとこない読者のために、「漫画家がアシスタントに作業を分担する際、コピー用紙に鉛筆で直接指示を描き込む」という当時の手法についても解説しています。まだ手描きでの作業が主流だった時代、仕事場にはコピー機が必須だったわけですね。
つまり、これらの原稿は小畑先生から矢吹先生への「業務指示書」そのもの。矢吹先生にとって唯一のアシスタント経験であり、漫画家としての糧となった、非常に貴重な思い出であることが伝わってきます。



しかし、当時わずか18歳で小畑先生のアシスタントをしていたかと思えば、その翌年には『週刊少年ジャンプ』で連載を勝ち取り、さらにその翌年には『BLACK CAT』を発表するのですから、その才能には驚かされるばかりです。
現在46歳となった矢吹先生が「よくこの歳で漫画家なんて大海に漕ぎ出したな…」と感慨深げに語るのも頷けますが、その航海がこれ以上ないほどの大成功を収めたことは、言うまでもありませんね! XD。
via: 矢吹健太朗官方X