『新世紀エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレー役や、『名探偵コナン』の遠山和葉役などでおなじみのベテラン声優・宮村優子さん。長年にわたり第一線で活躍されていますが、近年はSNSでのファンとの交流も積極的に行っています。
そんな宮村さんが、このほどオンラインマガジン『Hanasone』で公開したコラムで、「オタクは日陰者で、声優はイロモノだった…」と題し、声優を志したきっかけやアニメ・オタク文化の今昔について、ご自身の“昔気質のオタク”としての体験を交えながら語り、話題を呼んでいます。

宮村さんは、ご自身のことを子供の頃からのオタクだと自認しているそう。しかし、なぜか最近になって「私って、まだオタクなのかな?」と、オタクを自称する自信がなくなってきたと吐露します。
今の皆さんの推し活って、すごくアクティブでキラキラしていて、楽しそう。昔の「推し活」とは全然違う世界なんです。そう思うと、自分はただ人付き合いが苦手な根暗なだけだったのかも、と気づかされたりして、と語ります。
ともあれ、言いたいのは――今や「オタク」という言葉の定義が、すっかり変わってしまったということ。現在では「日陰者」というイメージはほとんどなくなり、それはもちろん素晴らしいことです。
ただ、老眼が始まった身としては、ほんの少しだけ昔の時代が恋しくなることも。この気持ち、わかってくれる人、いませんかね?

1972年に関西で生まれた宮村さん。当時は夕方になると様々なアニメの再放送があり、そこからアニメに夢中になったといいます。初恋の相手は、永井豪先生の『ドロロンえん魔くん』のキャラクターだったとか。
1980年代に入ると、お兄さんの影響で『週刊少年ジャンプ』や『週刊少年サンデー』を読むように。その後、『キャプテン翼』、『聖闘士星矢』、『タッチ』、『うる星やつら』といった作品が次々とアニメ化され、アニメは「子供向け番組」から、中高生や大人も楽しむエンターテインメントへと進化していきました。
当時の宮村さんにとって、漫画家の先生方は「オタク道」を極めた大先輩であり、崇拝の対象。さながら「オタク教」の修行を極めた教祖様のような存在だったそうです(笑)。
▼『ドロロンえん魔くん』

作品を愛する信者たちは、当然のようにグッズを買い求め始め、アニメイトのような専門店も登場しました。しかし、当時のアニメイトに足を踏み入れるには、かなりの勇気が必要でした。店舗は人通りの多い大通りではなく、寂れたビルの薄暗い廊下の奥にあったりしたものです。
『聖闘士星矢』のキャラクターデザインを手がけた荒木伸吾先生のイラストを使ったブロマイドや下敷きを買いに行った帰り道、本物の変質者に後をつけられたこともあったとか。苦労して手に入れたグッズは、まるで神棚に飾るように毎日拝んでいたそうです。
でも……もし自分が「オタク教」の信者だとバレたら、異教徒として扱われてしまう!迫害される!しまいには『聖闘士星矢』の下敷きを踏ませる「踏み絵」までさせられる!だから、グッズは引き出しの奥底に隠すしかありませんでした。本当に、当時はそれくらいアニメは“異端”なものだったのです。
▼80年代末~90年代初頭のアニメイトは、今のような明るい雰囲気ではありませんでした。

当時はアニメファン以外にも、SF教、鉄道教、パソコン教、特撮教など、様々な「宗派」がありました。他人の目を気にせず、好きなものを好きだと言える人たちは、宮村さんにとって「本物のオタク」であり、最高にカッコよく見えたそうです。
でも、自分はただの小心者なオタク。好きなグッズを買いに行くのもコソコソしていました。あの頃は本当に悔しかった。『聖闘士星矢』の下敷きを堂々と中学校に持っていきたかった!同人誌も同じで、みんな「薄い本」という隠語を使い、こっそり読んでいました。そして、一般人(カタギ)には絶対に見つかってはいけない。この暗黙のルールを守るのが、オタクとしての最低限のマナーでした。

平成初期になると、深夜アニメが増え、サブカルチャー全体が盛り上がりを見せます。ジブリ作品が次々と大ヒットし、普段深夜アニメを見ない層にもアニメが浸透。宮村さんが声優になったのも、ちょうどその頃でした。
▼ 『新世紀エヴァンゲリオン』のアスカと『愛天使伝説ウェディングピーチ』の珠野ひなぎくは、宮村さんの声優としての地位を確立した代表的な役柄です。


ただ……当時のアニメは、まだニッチな文化。バラエティ番組に出演すると、声優は珍獣のような扱いを受けました。司会者は上から目線で、声優をイジって笑いを取り、オタクを嘲笑し、アニメファンを「イロモノ」として見下すような紹介の仕方をしていたのです。
ある時、宮村さんがパーソナリティを務める公開ラジオ番組がメディアの取材を受けました。「アニメ関連ラジオの近年の盛り上がり」を特集してくれるという話だったのに、放送を見て愕然。内容は「テクノ依存症」を特集する企画にすり替わっており、オタク文化がまるで病的なものであるかのように描かれていたのです。
また別の日、とある有名バラエティ番組から出演依頼が。企画会議で、ディレクターは「みんなでオタクをバカにしたら、絶対ウケますよ!」と目を輝かせて言ったそうです。「テレビ局の人って、人をいじめるのが好きなのかな?」と感じた宮村さんは企画を断りましたが、制作側が修正を約束したため出演を承諾。しかし、収録現場に行ってみると……企画内容は全く変わっておらず、まんまと騙された形に。最終的に、そのコーナー全体を放送しないよう要求したそうで、当時のテレビ業界には深いトラウマを抱えることになったと語ります。

でも、安心してください。今ではアニメ好きを公言するタレントさんも増え、テレビ局のスタッフにもアニメファンがたくさんいます。声優という職業も、アニメ文化も、心からリスペクトしてくれるようになりました。仕事の現場はどんどんやりやすくなり、今は本当に幸せな時代だと感じています。
ただ、昔のオタク文化はサブカルチャーでした。自分たちが主流ではないと自覚していたからこそ、他人に迷惑をかけないようにと細心の注意を払っていたものです。それが今やメインストリームに近づいたことで、長年「日陰の世界」で生きてきた昔気質のオタクとしては、少し心配になることもあります。なんだか、みんなオープンになりすぎじゃないかな?と(?)。
例えば、布面積が極端に少ない衣装でのコスプレ撮影会や、アニメ本編では不必要な胸やお尻の揺れといった描写が、今では当たり前のように受け入れられています。日本、大丈夫そ?(笑)

今の皆さんは刺激的なコンテンツに慣れっこで、何とも思わないのかもしれません。お母さんみたいに口うるさく言うのも野暮ですが、やっぱり少し心配になってしまうんです(笑)。もちろん、気の合う仲間たちと語り合い、笑い合って楽しめるなら、それは大いに応援します。
ただ、どうも……今の風潮は「みんながやっているから大丈夫」という空気が強い気がします。昔は、たとえ一人でも、キモいと言われても、笑い合える仲間がいなくても、自分の「好き」を貫く人たちがいました。それは、自分たちが少数派だと自覚していたから。だからこそ、心の中に自然と一線が引かれていたのだと思います。
だからこそ、そろそろもう一度、あの頃の「チラリズム」の美学を取り戻してみてもいいんじゃないかな?なんて。……以上、老害オタクの繰り言でした。

宮村さんのオタクとしての原体験から、声優として目の当たりにしてきた業界の変化まで、ご自身の視点から語られた貴重なコラム。この数十年で、日本のオタク文化が「隠れるもの」から「流行のメインストリーム」へと、いかに大きく変貌を遂げたかが伝わってきます。
現代のファンにとっては当たり前のことでも、彼女のような“昔気質のオタク”から見れば、あまりの変化の大きさに「オープンになりすぎでは?」と感じてしまうのかもしれませんね(笑)。
via: X@宮村優子