クリストファー・ノーランが『オデュッセイア』の翻案における重要な参考資料として挙げたホメロス叙事詩の学者、エミリー・ウィルソンが、先日再びノーランの映画を公に批判した。
今回彼女が批判の矛先を向けたのは、劇中に登場する「ゼウスの掟」とされる概念だ。ノーランが古代ギリシャの「賓客の情(もてなしの心)」を根本的に誤解していると指摘し、トロイの木馬に原典とは異なる道徳的意味合いを与えているとまで言い放った。

ウィルソンは先日、『アトランティック』に寄稿した記事で、ノーランの映画が欺瞞をゼウスの掟における重要な禁忌とみなし、オデュッセウスがトロイの木馬を用いてトロイを陥落させたことを、文明秩序を破壊する決定的な行為として描いていると指摘した。
「ペネロペの求婚者たちが、オデュッセウスの哀れな犬アルゴスや盲目のエウマイオスに残酷に接したことは、明らかにこの原則に違反しています。しかし、映画は同時に、ゼウスの掟が全く異なるもう一つの道徳的問題、つまり欺瞞に関わっていると示唆しているのです」と彼女は述べている。
ウィルソンはさらに、「映画は木馬をゼウスの掟に対する最も極端な違反として描いています。なぜなら、それは大量破壊兵器を贈り物と偽装する行為に等しいからです。ホメロスが描くゼウス自身は計算高い策略家ですが、ノーラン版のゼウスは、特に主人と賓客の間で起こる欺瞞に対して、ことさら厳しい態度をとっています」と批判した。

彼女が指摘する最大の論理的問題は、ギリシャ軍がすでに10年間もトロイを包囲しており、両者はそもそも戦争中の敵であるため、通常の主人と賓客の関係は存在しないという点だ。これに対し、ウィルソンは次のように言い切った。
「もしこの戦争自体が誤りであるならば、最も重要な転換点を木馬の使用に置くのは全く道理に合いません。真の鍵は、アガメムノンが最初にトロイ侵攻を決断した瞬間、そしてオデュッセウスが帝国の要求に屈することを選んだ瞬間にあるはずです」
記事の最後に、彼女はノーランの映画自体を「もう一つのトロイの木馬」と形容し、作品が表面上は善意と共感を強調しながらも、映像が実際に伝えているのは全く別の価値観であると批判した。
「私たちに必要なのは、共感に支払われるべき代償、そしてそれがなぜ不可欠なのかに正直に向き合う芸術です。同時に、精神的または道徳的に優れていると自負することが、私たちを嘘から守ってくれるわけではないということも理解しなければなりません」とウィルソンは語った。
via: The Atlantic