
吸血コウモリ怪人が逃走した。さらなる被害を食い止めるため、仮面ライダー本郷猛は愛機『サイクロン号』を駆り、追跡する……。恩師の娘、老執事、そして多くの無辜の人々が、コウモリ怪人に血を吸われ、知性を持つコウモリウイルスに感染。怪人に操られる人形と化してしまう……。怒りに震える本郷は、吹き荒れる風の中で叫ぶ。「風よ!俺にエネルギーを注ぎ込め!」
Image credit:『仮面ライダー』第一集

1971年に連載が開始された漫画『仮面ライダー』は、まさに風によってエネルギーを注ぎ込まれた作品だ。連載開始からおよそ50年が経った今も、日曜の朝には『仮面ライダー』の番組が放送され続けている。この長きにわたり、100体を超える様々な能力、様々な変身方法を持つ仮面ライダーが登場した。彼らは本郷猛とは大きく姿を変え、中にはトレードマークのバイクに乗らないライダーもいる。日本が令和の時代に入り、今なお活躍し続ける『仮面ライダー』シリーズは進化と変化を続けている。しかし、石ノ森章太郎が描いた漫画『仮面ライダー』は、今読んでも色褪せることのない魅力を放っている……作品から常に感じられる強烈な気流とスピード感。これこそが、石ノ森大師が遺した熱いエネルギーなのだ。
石ノ森と彼の仮面ライダー Image credit:石ノ森章太郎ふるさと記念館

仮面ライダー1号の姿はバッタがモチーフだと、多くの人が語るだろう。それは本郷猛がなぜ高く跳躍し、空中で見事な飛翔キックのポーズを決め、その名も『ライダーキック』という必殺技で悪を倒すのかを説明しているように思える。しかし、昆虫は仮面ライダーとそれほど大きな関連はない。風こそが仮面ライダーの全てなのだ。ひいては、仮面ライダーがバイクという「肉包鉄」(生身の人間が鉄の塊に乗る)の乗り物を選ぶ理由も、そこから推測できるだろう。バイクの上でこそ、彼は最も強烈な風速を感じられるからだ。漫画『仮面ライダー』において、風はさらに遍在する。
Image credit:『仮面ライダー』第二集

怪人が眠る本郷に忍び寄った時、突如として吹き荒れた怪しい風が、あわや被害に遭うところだった彼を目覚めさせる。翼を持たない仮面ライダーだが、その戦闘シーンはほとんどが空中戦だ。もちろん、前述のバイクを飛ばしながらの雄叫びや、風を受けながら風に力を乞う姿も含まれる。本郷猛の力は風から生まれ、その行動は風の如く、そして風が彼を守護する。彼が崖や高所から落下しても、重力が彼を殺すことはない。むしろ、落下による重力加速度が彼をより多くの風へと導き、大空を翔ることを可能にするのだ。
この設定は少しも不思議ではない。なぜなら、石ノ森章太郎自身もまた、『風の子』だったからだ。
永遠のライダーキック!!ライダーキック!! Image credit:石ノ森章太郎【公式】|GIFMAGAZINE
漫画家は、自身の描く主人公と同じように生きる必要はない。だが、若き日の石ノ森章太郎は、彼が生み出した多くのキャラクターたちと同じように苦境にあった。高校生にして週刊漫画家。聞けば華々しい響きだが、実は石ノ森には別の思惑があった。彼はその原稿料を、東京の大学へ進学する生活費に充て、何もない宮城の田舎の実家から抜け出したかったのだ。田舎暮らしが決して悪いわけではないが、石ノ森が家を急いで出たがったのは、主に両親が原因だった。公務員だった父親は、長男が「碌でもない」漫画家になることに猛反対していたからだ。石ノ森が高校時代に、すでに人気漫画家である手塚治虫のアシスタントを務めていたにもかかわらず、その功績は両親の目には何の価値もなかったのだ。
最初、病弱で外出できない姉を喜ばせるため、石ノ森は漫画を描き始めた Image credit:ameblo.jp

手塚治虫がなぜ高校生をアシスタントに招いたのか?それは、石森が漫画研究会の会報に寄稿した原稿を見て、その才能に驚嘆したからに他なりません。東北の田舎から出てきた少年が、当時原稿料ランキングでトップだった漫画界の巨匠に認められるとは、どれほどの栄誉だったことでしょう。しかし、石森の苦難の旅は始まったばかりでした。息子の上京を拒否した父親は、一切の生活費を援助しません。そして、『漫画少年』の原稿料で自活しようと目論んでいた石森でしたが、その『漫画少年』が経営不振により休刊となってしまったのです。高校を卒業し、すでに上京していた彼は、わずかな貯蓄に頼るしかありません。見かねた母親が密かに仕送りを送ってくれましたが、焼け石に水で、生活は立ち行かなくなっていきました。
若い頃の石森 Image credit:マジン・ゴー!な日々

そしてついに、手塚治虫の推薦により、講談社の漫画雑誌から執筆依頼が舞い込みます。これで危機は回避できるかと思いきや、手塚がかつて『リボンの騎士』を連載していたその雑誌こそ、『少女クラブ』だったのです。石森は呆然とします。憧れの手塚が連載した雑誌で作品を発表できるのは光栄なことですが、これは少女漫画雑誌です!「本当に少女漫画が描けるのか?今まで一度も描いたことがないし、そもそも女の子すらまともに描けないのに…」若き石森は完全にパニックに陥りました。
石森の初の少女漫画『幽霊少女』 Image credit:Twitter@じゃんくまうす

後ろ盾もなく、資金もなく、頼れるのは貧しい友人ばかり。若き石森は、ほとんど毎日このような苦境に直面していました。多くの漫画家仲間たちが集うトキワ荘に移り住んでからも、この新人漫画家たちは、まるで生活に押しつぶされるのを待つ新米兵士のようでした。冷水でシャワーを浴び、食事にも事欠き、冬は部屋が凍えるほど寒く、夏は直射日光が部屋に差し込む。トキワ荘は決して快適な住まいとは言えませんでしたが、石森たちが生きるための最後の砦でした。田舎から出てきた彼らは、東京に来たことすらありません。街を歩いて目にする真新しい店の佇まいに、すぐに気後れして入ることもできず、トキワ荘に引きこもっている方がよほど安全だと感じていました。
トキワ荘の若者たち Image credit:大正生まれのブログ

少なくともトキワ荘には、志を同じくする「負け組」たちがいました。彼らは志、怒り、恨み、その全てを漫画のコマにぶつけ、いつか大手出版社の編集者が原稿を求めて訪ねてくる日を夢見ていました。外に出るのが苦手で、お金もない石森は、買い物が大嫌いでした。しかし、人は食べなければなりません。そのため、石森は食材を買いに行くたびに、何日分もまとめて購入し、ひたすらトキワ荘に引きこもっていました。唯一新鮮と言える食材は野菜サラダくらいで、時には数日経ってから「期限切れ」のサラダがあることを思い出し、それを食べて飢えをしのぐこともありました(そして食中毒になったことも)。高校時代に石森と共に『漫画少年』で連載していた赤塚不二夫は、彼が最も長く知るライバルであり戦友で、後にトキワ荘にも入居します。ある時、赤塚が石森の部屋を訪ねて声をかけると、彼は前日から何も食べていないことが判明しました。「お腹が空いたら、カルピスを少し飲んで飢えをしのいでいた」と。
トキワ荘の石森 Image credit:ガールズちゃんねる

そんな貧しく、痩せ細り、不遇だった石森は、「風の子」でした。トキワ荘での生活を語る際、石森の話になると、日本を代表するギャグ漫画の巨匠と称される赤塚不二夫でさえ、どこか嫉妬めいた口調で彼を「トキワ荘の天才」と呼んだものです。実際、赤塚だけでなく、藤子不二雄の二人組、松本零士、ちばてつやといった、いずれも漫画界の巨匠と呼ぶにふさわしいトキワ荘の住人たちは、石森と共に過ごした数年間を振り返るたびに、彼の才能を惜しみなく絶賛しました。不思議なことに、これらの漫画の巨匠たちはそれぞれ得意分野を持っていました。アイデアが豊富な者、観察眼が鋭い者、緻密な画力を持つ者。では、石森には一体どのような突出した才能があり、周囲を圧倒していたのでしょうか?
後に再建されたトキワ荘 Image credit:ニッポンドットコム

端的に言えば、トキワ荘で苦楽を共にした若き漫画家たちは、誰もが漫画に命を懸けていました。石ノ森先生もその一人でしたが、彼が他と一線を画していたのは、その創作スタイルにありました。彼は描くというよりも、まるで「人間プリンター」とでも言うべき存在だったのです。
古くからの友人である赤塚不二夫先生は、石ノ森先生の才能に最も早く気づいた一人かもしれません。「あの頃、96ページの貸本単行本を描くのに、普通は1ヶ月かかった。でも彼は半月で描き上げたんだ。俺だったら、少なくとも4、5ヶ月はかかる。こういうのを『天才』って言うんだよな……。それに、俺たちがまだ駆け出しの頃から、彼はもう絵が上手くて、手塚先生より上手いんじゃないかとさえ思ったよ」
「これでいいのだ」の精神を信奉した赤塚不二夫先生 Image credit:CINRA NET

藤子不二雄Ⓐ先生も自伝的作品『まんが道』の中で、藤本先生と二人合わせても1日に5、6ページが限界だったのに対し、石ノ森先生は一人で20ページ近くを描き上げたと述懐しています。若き日の仲間たちの評価だけでは信憑性に欠けると言うかもしれません。しかし、当時手塚治虫先生の担当編集者であり、石ノ森先生に少女漫画の執筆を依頼した丸山昭氏も、プロの目で見てその筆の速さとクオリティを証言しています。
「石ノ森先生は皆が言うように、まさに万能で、とにかく描くのが速かった。彼が全力で描いた月産570ページという記録は、今なお破られていません。描くのが速い手塚先生でさえ、月産360ページほどが限界でしたから、石ノ森先生の作画スピードは漫画界で間違いなくナンバーワンです」と、丸山氏はトキワ荘時代を振り返る著書に記しています。
『少女クラブ』を手に取る丸山編集長。2017年に逝去されました Image credit:新・やすべいモラトリアム

石ノ森先生の凄さは、そのよどみない作画スピードだけではありません。知識を吸収する速さもまた、常軌を逸していました。彼は2台のテレビを同時に視聴することができたといいます。一台ではNHKの政治討論番組を、もう一台では特撮ドラマ『仮面ライダー』を。見逃した番組は録画して保存し、自宅の棚には多種多様なジャンルのビデオテープが4000本も並んでいたそうです。そして、ただ速くインプットするだけでなく、ニュース解説、バラエティ、教養番組などから得た情報を、すべて自身の漫画作品へと昇華させていったのです。
50年前の作品とは思えない、流れるようなコマ割り Image credit:『仮面ライダー』第1話

例えば漫画『仮面ライダー』では、悪の組織ショッカーの工場が環境破壊で地元住民から抗議を受けるという描写があります。そして、コブラ男が抗議運動のリーダー3名を暗殺するのです。「川崎公害反対運動の中心人物3名が謎の失踪!」――週刊誌でこの一コマを読んだ子供たちは、知らず知らずのうちに、当時の社会問題であった川崎公害の現実を知ることになります。日本の石油化学工業の拠点であった川崎市は、規制のない工場からの排気・排水によって深刻な汚染に見舞われ、「公害の街」という不名誉なレッテルを貼られていました。住民が公害病に苦しみ、生活用水さえも汚染される中で、抗議運動は地域の政治をも動かす大きなうねりとなっていたのです。
石ノ森章太郎先生は、この社会のトップニュースを、子供たちが夢中になる漫画の世界に果敢に取り入れ、故郷を汚す者たちがショッカーと同じくらい憎むべき悪であることを伝えたのです。
作中に登場する川崎公害反対運動の描写 Image credit:『仮面ライダー』第1話

風の行く手を誰も阻めないように、石ノ森章太郎先生のペンも止まることはありませんでした。速く、多く、そして広く。あらゆるテーマを描きこなし、さらに特筆すべきは、その揺るぎない社会的責任感でした。幼い頃から漫画と共に生きてきた彼は、漫画が読者を楽しませるだけでなく、教育的な使命をも担うべきだと考えていました。彼が生きた時代、漫画はまだ子供のものと見なされていましたが、彼は作品を通じて、子供たちに楽しさ以上のものを届けようとしました。作品を通じてメッセージを伝えることは、必ずしも創作者が負うべき責任ではありません。しかし、「一人の作家によって描かれたコミックの出版作品数が最も多い」としてギネス世界記録に認定されたこの偉大な作家にとって、それは自ら進んで背負った重責だったのです。
単なる娯楽に留まらない、壮大な夢を抱いた石ノ森先生 Image credit:NHK

本郷猛の恩師が怪人に脅された時、彼は『仮面ライダー』の根幹をなす思想を口にします。「信念を抱かぬ人間の世界は、死後の世界と同じだ」と。ショッカーという組織の邪悪さは、人間の自主性(洗脳と改造による)を徹底的に抹殺することにあります。本郷猛や、その後に続く多くの後輩ライダーたちもまた、ショッカーによって心身を傷つけられた被害者です。しかし彼らは皆、どんな打撃や過酷な運命に見舞われようとも、信念を貫き通すことを誓います。自分自身であり続けること、それが彼らの不変の原則なのです。自由に生きたいと願うこと、それこそが仮面ライダーが象徴する意義なのです。
自主性を保てないのなら、死を選ぶ Image credit:『仮面ライダー』第1話より

石ノ森はかつて、漫画は「萬画」と呼ぶべきだと提唱しました。そうすることで、漫画というメディアの広さと深さを伝えられると考えたからです。その主張が広く受け入れられることはありませんでしたが、石ノ森自身はまさにその「萬画」の道を独りで歩み続けました。低年齢層の読者には日本の歴史や偉人伝を、大人の読者には文学性の高い漫画詩を描きました。ゲーム『ゼルダの伝説』のコミカライズを手がけ、禁断の小説『家畜人ヤプー』を漫画化しました。スパイもの、SF、オカルト、動物生態、スーパーヒーロー、社会派など、あらゆるジャンルの漫画を描き上げました。さらには、70年代の「マンガ世代」の読者たちが年を重ねた時のために、文字を大きくした「老年マンガ」を出す構想まで持っていました。その内容は、盆栽や孫とのふれあいといったものだったかもしれません…
『仮面ライダー』の原画 Image credit:復刊ドットコム

これほど多くのアイデアを、筆の速い石ノ森ですら描き切ることはできませんでした。リンパ腫を患った後でさえ、「もう何も描けない」とこぼしながらも、病身をおして学校の先生の机のような小さな仕事場で描き続けました。いったい誰が、風の行く手を阻むことができるでしょうか。病魔ですら、彼を止めるには相当な力が必要だったに違いありません。
『仮面ライダー』やスーパー戦隊シリーズ、ひいては特撮というジャンルは、今なお巨大なクロスメディア産業として発展を続けています。しかし今、改めて石ノ森章太郎が自らの手で描き上げた漫画『仮面ライダー』を手に取った時、そのページから吹き付ける強烈な熱い風を真に感じることができるでしょう。それこそが、萬画の王・石ノ森章太郎が私たちに残してくれた、かけがえのない贈り物なのです。