(画像:Pinterest)
2年前にブルース・リーの新たな伝記映画の製作を発表し、息子メイソン・リーを主演に抜擢したアカデミー賞受賞監督のアン・リーが、最近『IndieWire』のインタビューに応じ、本作では3Dやハイフレームレート技術を採用しないことを認めた。『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』から『ジェミニマン』まで、3作品連続で3D実機撮影にこだわってきたアン・リー監督。3D領域における新たな映像言語の探求に心血を注いできたが、後の2作品での挫折が、その考えを改めさせたようだ。

(画像:パラマウント・ピクチャーズ)
アン・リー監督初の3D映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』は批評的にも興行的にも大成功を収めたが、続く『ビリー・リンの永遠の一日』と『ジェミニマン』は評価が振るわず、興行的に大失敗。両作で採用された120fpsのハイフレームレート技術も評価が二分し、フレーム数が多すぎることでかえって不自然でリアリティがないとの批判も少なくなかった。
アン・リーは、これらの映画の撮影がいかに大きなプレッシャーだったかを認める。「これらの作品がどうやって作られたのか、詳しくは話せません。人々は、この規模の映画を作るのがどんな感じか、味わったことがないでしょう。私は経済的、スタジオからのプレッシャー、そして誰も試したことのないものを作るという、とてつもないプレッシャーの中で2本の映画を撮りました。そのプレッシャーは本当に大きく、その複雑さも人々が目の当たりにしたものではありません」
(画像:ソニー・ピクチャーズ)
アン・リーは、現在の映画製作が1970年代に逆戻りしたかのようだと考えている。「物語を語るための新しい方法は必ずあるはずです。500年後に人々が振り返ったとき、おそらくこう言うでしょう。『え?70年代が映画芸術の頂点だったのか?』と。しかし、私はそれが頂点だとは思いません」
アン・リーは、世界はまだ3Dを受け入れる準備ができていなかったと嘆く。「全体的に見て…私の2作品だけを指しているわけではありません…3Dという分野全体が、あまりにもひどい状況でした。映画製作者も、劇場も、そして経済環境全体もひどかった。まったく3Dのために作られた環境ではありませんでした。3Dというメディア自体を責めたくはありません。観客と業界全体が、まだそれを受け入れる準備ができていなかったのです」
(画像:20世紀スタジオ)
アン・リーはまた、これまで多くの監督が批判してきた3D技術の難点、つまり劇場で上映される3D映像が暗すぎる問題についても指摘した。「劇場は本当にケチで、映像をとても暗く設定しています。画面がちらつくので、本当の効果を体験するのは難しい。そして3D制作の現場も質が悪く、頭痛を引き起こすような、単に出来の悪いものでした。観客が3Dを好まないのを責めることはできません。品質が本当に悪く、しかも追加料金まで取られるのですから。もし品質が本当に良ければ、観客は自然と好きになる。それだけのことです。3Dと2Dは全く違います。創作の思考プロセスが異なる論理で動いている。この2つは比較できません。一方は非常に精密で、もう一方はまだ赤ん坊のように未熟です」
アン・リーは続ける。「だからこそ私は、通常の4倍の大きさの新しいプロジェクターを開発する必要があったのです。3Dは映画制作者が学ばなければならない新しい言語であり、観客もそれに慣れる必要があります。ただ、それには時間がかかります。しかし、世の中には質の悪いクリエイターがいる。単純なことです。観客は目にしたものしか見ません。そして彼らが見たのは、暗くて頭痛やめまいを引き起こす映像でした。制作者たちは、自分たちがその映像に何をしているのか理解していません。まだ始まったばかりなのです」

(画像:Pinterest)
アン・リーは、ブルース・リーの伝記映画では3Dやハイフレームレートといった新技術は採用しないことを認めた。「あまりにも困難です。特にあの2本の映画を撮った後では、3Dは本当に難しすぎます。私は通常のやり方に戻り、昔ながらの映画製作手法に立ち返ります。語るべき素晴らしい物語があり、探求すべきことがたくさんあります。まだ構想を練っている最中ですが、3Dにはなりません」
アン・リーは、ブルース・リーの物語が自身にとって最適な題材だと考えている。「性格的には、私とブルース・リーは全く違いますが、いくつかの点で彼と繋がりを感じます。彼はアイデンティティの問題を抱え、帰属意識を渇望し、自分の居場所を見つけようとしていた。その点に、私は本当に共感するのです」。また、アン・リーは自身と息子の年齢を考え、ブルース・リーの伝記映画をできるだけ早く撮影したいと冗談めかして語った。
アン・リーはまた、『ジェミニマン』で酷評されたCGによる若返り技術(ディエイジング)を二度と使わないことにも言及した。「この件では、さんざん痛い目に遭いましたから」