22年前にワーナーが製作を構想していた『バットマンVSスーパーマン』:[[OBJ_3833]]がスーパーマン、[[OBJ_4661]]がバットマン、ジョーカーの殺意が引き起こす大戦

2016年は、アメコミスーパーヒーロー史上、非常に意義深い年でした。この年、DCコミックスの二大看板であるスーパーマンとバットマンが、ついに大スクリーンで共演を果たしました。しかし、『[[OBJ_6346]]』(Batman v Superman:Dawn of Justice)は、本来彼ら二人の初共演となるはずではありませんでした。この歴史的な夢の共演は、もっと早く実現するはずだったのです。

その全ては、2000年代初頭に遡ります。当時、ワーナー・ブラザース映画は、DCの映像ブランドをいかにして再興させるかに頭を悩ませていました。彼らは長い間『スーパーマン』映画を製作しておらず、『バットマン』シリーズも、3年前の『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』(Batman & Robin)での大失敗からまだ立ち直っていませんでした。

(画像出典:IMDb)

『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』がバットマンの映画キャリアを冬眠状態に陥れる以前から、ワーナー・ブラザースは『スーパーマン』映画の復活を絶えず試みていました。彼らはかつて、『バットマン』を大スクリーンに送り出すことに成功したティム・バートン(Tim Burton)を呼び戻し、『スーパーマン』のリブート版『Superman Lives』の監督を任せました。しかし、バートンとワーナー・ブラザース、プロデューサーのジョン・ピーターズ(Jon Peters)との間に様々な理念の相違が生じ、ワーナー・ブラザースは結局1998年の撮影開始直前に急ブレーキをかけることを決定しました。

『Superman Lives』が中止された後、ワーナー・ブラザース内部の『スーパーマン』脚本は多重的な混乱の段階に陥り、何人もの脚本家や監督が次々とアイデアを出し、時には同時にそれぞれが執筆を進める状況もありました。そのうちの一組は、2001年に結成された『トータル・フィアーズ』(The Sum of All Fears)の脚本家ポール・アタナシオ(Paul Attanasio)と、『チャーリーズ・エンジェル』(Charlie's Angels)の監督マックG(McG、下図)でした。しかし、マックGは最終的に『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル』(Charlie's Angels:Full Throttle)の監督に復帰するため、降板を選択しました。

(画像出典:IMDb)

ちょうどその頃、マックGが降板したのと同じ年に、『セブン』(Se7en)の脚本家アンドリュー・ケビン・ウォーカー(Andrew Kevin Walker)が参入しました。彼こそが、ワーナー・ブラザースに初めて『バットマンVSスーパーマン』の脚本を提案した人物です。彼は当初、『スーパーマン』の脚本を書くために雇われましたが、最終的にひらめき、バットマンを追加することにしました。ワーナー・ブラザースはこのアイデアを気に入り、『ネバーエンディング・ストーリー』(The Neverending Story)、『エアフォース・ワン』(Air Force One)で知られるドイツの名監督ウォルフガング・ペーターゼン(Wolfgang Petersen)を監督に据えることにも成功しました。

しかし、ワーナー・ブラザースはウォーカーの提案に専念することに満足せず、翌年には別の競合相手を雇い入れました。

(画像出典:IMDb)

ウォーカーと競合したのは、後に大物となるも当時はまだ頭角を現し始めたばかりの[[OBJ_5502]](J.J. Abrams)でした。JJは『スーパーマン』の単独映画『Superman:Flyby』の脚本執筆のために雇われ、ワーナー・ブラザースは同様にペーターゼンに監督を任せるつもりでした。JJは自身の『スーパーマン』シリーズを三部作