【レビュー】『サンダーボルツ*』:マーベル復活の狼煙となるか? DCも犯した“過ち”を修正した、壮大な予告編

(画像:マーベル・スタジオ)

(本文はネタバレを含みます。ご注意ください)

結論から言おう。『サンダーボルツ*』は、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』以降のマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)において、総合的なクオリティが最も高い劇場作品であることは間違いない。『マーベルズ』ほど支離滅裂ではなく、『デッドプール&ウルヴァリン』のようにキャラクターの感情描写がぎこちないわけでもない。ましてや、『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』のように、崩壊寸前の場面をなんとか制御不能に陥らないよう必死に取り繕うようなこともない。『サンダーボルツ*』は、生まれつきの素質が良く、後から丁寧に育てられた、ただそれだけの作品だ。だからこそ大きな破綻もなく、安定して物語を走り抜けることができた。もちろん、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』ほど優れているわけではないが、今のマーベルが必要としているカンフル剤としては十分すぎる一作だ。

『サンダーボルツ*』が最も直感的に与える印象は、2016年の初代『スーサイド・スクワッド』に近いというものだ。これは単なる印象に留まらず、実際に多くのプロットが酷似している。ヴァレンティーナはアマンダ・ウォラーであり、どちらも自分の後始末をさせるためにチームを招集する。そして、そのチームが最終的に対峙するラスボス級の敵もまた、彼女たちがコントロールできなくなった超人(あるいは超常的存在)だ。さらに、チームメンバーは任務遂行の過程で、自らの心の闇と向き合い、自分の存在価値を見出さなければならない。

(画像:マーベル・スタジオ)

本質的に、『サンダーボルツ*』と『スーサイド・スクワッド』は同じことをしているが、前者はより効率的かつ効果的な方法で目的を達成している。もちろん、『サンダーボルツ*』にはアドバンテージがある。本作は『アントマン&ワスプ』『ブラック・ウィドウ』『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』(さらにはエレーナが重要な役割を果たす『ホークアイ』を含めてもいい)の続編であり、メンバーはすべて過去作に登場したキャラクターなので、改めて紹介に多くの時間を割く必要がない。それでも、フラッシュバックやセリフに織り交ぜられたジョークを通して、観客に彼らの経歴を再確認させてくれる。たとえ前述の作品を一切見ていなくても、彼らがどのような性格で、どんな背景を持つ人物なのか、おおよそ理解できるだろう。

しかし、『サンダーボルツ*』が『スーサイド・スクワッド』に真に勝っているのは、ドラマパートとアクションシーンの繋ぎの見事さだ。どちらの作品も意図的に物語を中断させ、キャラクター同士が心の内を語り合う場面を設けている。だが、『スーサイド・スクワッド』のそれは気まずく強引で、乱暴に悲壮感を演出し、時には長く留まりすぎるため、リズムが急にスローダウンしてしまう。対照的に、『サンダーボルツ*』は立ち止まるタイミングが絶妙で、その状況設定も自然だ。キャラクターたちが成り行きで数言交わすだけで、わざとらしくテーブルを囲んで心理セラピーのようなことはしない。最も重要なのは、『サンダーボルツ*』の脚本・監督陣が、キャラクターたちが互いを気にかけ始めるきっかけや、その動機を丁寧に描いている点だ。個人の利益を守るためであれ、純粋な思いやりであれ、あるいは自己中心的な動機が「少しだけ」利他的なものへと変化していく過程であれ、その微妙な差異や、ぎこちない会話のやり取りがしっかりと描かれている。短時間で崇高な仲間意識を築き上げろと、安易に押し付けることはない。(画像:マーベル・スタジオ)

『サンダーボルツ*』のキャラクターたちが抱える、人生の目的を見失った憂いは、『デッドプール&ウルヴァリン』と重なる部分もある。デッドプールはスーパーヒーローとして受け入れられないことに悩み、ウルヴァリンはかつてのX-MENの仲間たちの期待を裏切ったと感じている。そしてここでもまた、『サンダーボルツ*』の方がより理想的なモデルケースを示している。本作はキャラクターの失意や、心の中の暗い虚無に飲み込まれそうな無力感を真に描き出しているのだ。このテーマを単なるサブプロットではなく、キャラクターが実際に立ち向かうべき危機の中核として設定しているため、伝わってくる力強さが全く違う。彼らは任務を完了した後に自己成長リストの項目にチェックを入れるのではなく、心の闇を克服して初めて任務を達成できるのだ。

これにより、『サンダーボルツ*』の危機解決方法は、非常に「スティーヴン・キング的」なものになっている。まるで『IT/イット』の“ルーザーズ・クラブ”のメンバーが恐怖を克服し、ペニーワイズを打ち負かすのを見ているかのような、心温まる感動と熱血がそこにはある。『サンダーボルツ*』における憂鬱な感情の描写は驚くほど的確で、共感を誘う。ある程度の抽象性を保つことで、観客が自身の経験を投影する余地を残しつつ、社会に共通する集団的な感情については十分に明確な描写がなされている。その絶妙な距離感が、パーソナルでありながらも壮大なスケール感を生み出しているのだ。(画像:マーベル・スタジオ)

しかし、前述のすべては、究極の目的、すなわち「ニュー・アベンジャーズ」の誕生を紹介するためにある。ヴァレンティーナの「セントリー計画」は新世代のヒーローを生み出すためのものであり、サンダーボルツのメンバーたちの迷いは、彼らがある種の承認を必要としているからだ。そして、ニュー・アベンジャーズの結成が、最終的な解決策となる。もし、シネマティック・ユニバースのために壮大な続編への伏線となる“超大型予告編”を撮るのであれば、『サンダーボルツ*』は最高の見本だ。独立したテーマを持ちながら、そのテーマがユニバース全体の大きな方向性へとスムーズに繋がり、今後の展開に対する観客の好奇心と期待をかき立て続ける。

だが、『サンダーボルツ*』最大の魅力の源泉は、やはり豪華キャスト陣に他ならない。デヴィッド・ハーバー(レッド・ガーディアン役)は、期待通りお笑いと心温まる父親役を担当。フローレンス・ピュー(エレーナ役)は、オスカーノミネート俳優としての高水準な演技を披露し続け、ロシア訛りで可愛らしさを振りまき、泣きの演技で観客の心を打ち砕く。ワイアット・ラッセル(U.S.エージェント役)は、近年私が気に入った数少ない男性の二世俳優だ。父カートにそっくりだが、カートのような濃厚なヒーロー気質はなく、むしろダメ男を演じたり、キレたりする方が彼の持ち味だ。同じく二世俳優であるルイス・プルマン(セントリー役)は、思わず抱きしめたくなるような存在感を放つ。そして最も嬉しかったのは、ハナ・ジョン=カーメン(ゴースト役)だ。私はずっと、彼女がハリウッドに見過ごされている逸材だと感じていた。セクシーでありながら、アクションヒーローとしての気品も兼ね備えている。ハリウッドが本気になれば、次のハル・ベリーに育てることだって可能なはずだ。それでも、マーベルが今も定期的に彼女を呼び戻してくれることに、私は心から喜びを感じている。

(画像:マーベル・スタジオ)

しかし、逆にジュリア・ルイス=ドレイファスには少しがっかりした(笑)。なぜなら、彼女は今回、意図的かどうかは分からないが、コメディ調の演技を抑え気味にしていたからだ。私は『となりのサインフェルド』のファンで、彼女は『サンダーボルツ*』のキャストの中で最も好きな俳優だった。そして、私が本作を心待ちにしていた主な理由は、ドレイファスが『ブラック・ウィドウ』や『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』で見せたカメオ出演が、非常に面白く、強烈な印象を残したからだ。登場するやいなや、ベテランの貫禄で若手を完全に圧倒し、鼻をかむ仕草ひとつ取っても魂が宿っていた。本作でも、もっとドレイファス節の効いた笑いを期待していたのだが、彼女はそれを封印してしまったようで、肩透かしを食らった気分だ。演技が悪かったわけではない。ただ、私が見たかったものが見られなかったので、少し寂しかった、というだけだ(笑)。