国民的アイドルグループ「ARASHI(嵐)」が、2026年5月31日に東京ドームで開催された「ARASHI LIVE TOUR 2026 'We are ARASHI'」の最終公演をもって、その活動に幕を下ろしました。
そんな中、あるネットユーザーがThreadsに投稿した内容がX(旧Twitter)にも転載され、「嵐のラストライブと父親の通夜、どちらを優先すべきか」というテーマで大きな議論を巻き起こしています。

話題のきっかけとなったのは、ある男性のこんな投稿でした。
妻が、もともと5月31日の嵐の解散コンサートに行く予定だったのですが、なんと彼女の父親が急逝し、その日がちょうどお通夜になってしまったんです。「行けなくなって残念だったね」と声をかけたら、信じられない言葉が返ってきました。
「お通夜には出ない。嵐のコンサートに行くから。告別式には出るからいいでしょ?お通夜のことはあなたに任せる」と。その言葉を聞いて、僕は完全にフリーズしてしまいました。自分の父親の通夜より、アイドルのコンサートを優先するなんて、どうしても理解できません。もしこれが僕自身の親の通夜なら、まだ「行きたいなら行けば」と一歩引けたかもしれませんが、彼女が実の父親の通夜をないがしろにすることが許せませんでした。
この投稿がXに転載されると瞬く間に拡散され、ネット上では賛成派と反対派による激しい議論が交わされる事態となりました。

この議論を受け、あるユーザーは「将来、子どものために遺言を残しておこうと思った」と投稿。彼女は、もし自分の葬儀と子どもの大切なイベントが重なってしまったら、子どもにはその時に一番やりたいこと、一番幸せを感じられることを優先してほしいと綴りました。
「私が生きている間に、子どもたちからたくさんの幸せをもらったから。私のために夢や楽しみにしていたことを諦めるより、自分たちが心から楽しめることをしてほしい」
この意見には多くの賛同の声が寄せられ、「嵐のラストライブと父親の通夜」問題については、コンサートを優先する選択を支持する流れが生まれました。
「もし自分だったら、子どもには推し活を優先してほしい」「生きている人間の方が大事。自分の葬式が原因で、子どもが一生の思い出を逃したら、むしろ悲しい」といったコメントが相次ぎました。


中には、「人はいつか亡くなるけど、残された人は生きていかなきゃいけない。解散コンサートみたいな二度とない機会なら、絶対そっちに行ってほしい」という意見も。さらに、アイドルグループの解散コンサートを「ある意味、もう一つの最後のお別れ」と表現し、こちらも逃したら二度と取り戻せない貴重な機会だと主張する声もありました。


しかし、もちろん反対意見も少なくありません。多くのユーザーが、親の気持ちは理解できるとしつつも、いざ自分が子どもの立場だったら、とてもじゃないけどコンサートを楽しむことなんてできないと語ります。

「親の立場なら『行ってきなさい』って言うけど、子どもの立場だったら、そんな気分でライブなんて絶対に見られない」

「コンサートに行くべきっていう意見がこんなに多くて、正直びっくりしてる」「最近は趣味や娯楽を重視しすぎじゃない?結局のところ、コンサートはエンタメでしょ」と、コンサート優先の風潮に疑問を呈する声も上がっています。


議論が深まるにつれ、問題は単に「通夜に行くか、行かないか」という二元論では片付けられないという指摘も出てきました。一部のユーザーは、通夜や葬儀は故人と子どもの間だけのプライベートな問題ではなく、親族全体が関わる「家」の問題であると主張します。
「お通夜では、遺族として弔問客の対応や様々な手配をする必要がある。子どもは参列者じゃなくて、もてなす側なんだよ」

「もし本当に子どもに欠席してほしければ、生前のうちに親戚中に話を通しておかないと。さもなければ、子どもは『親の通夜にも来ない薄情者』っていうレッテルを貼られかねない」

また、別の視点からは、残された家族が背負うプレッシャーを心配する声も。「故人や子どもの気持ちばかりが語られるけど、親戚に事情を説明しなければならない配偶者や他の家族の立場が忘れられている」という意見です。
確かに、件の投稿主である夫の立場からすれば、妻が実の父親の通夜をコンサートのために欠席したことを、親戚一同にどう説明すればいいのか、その心労は計り知れません。

議論が白熱する中、この問題に唯一の正解はないという見方が大勢を占めています。
コンサート優先派は、人生は一度きりであり、生きている人間は「今、この瞬間」の幸せや機会を大切にすべきだと主張します。一方、通夜を優先すべきだという人々は、家族の死は人生における極めて重要な節目であり、最後の時間を共に過ごし、見送ること自体にかけがえのない意味があると訴えます。
この一件は、現代社会における家族観、個人の幸福、家庭内での責任、そして人生の価値観がいかに多様化しているかを浮き彫りにしました。どちらを選ぶべきか、その答えは、おそらく人の数だけ存在するのでしょう。