放送開始から15周年を迎えたテレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』、その待望の新作となる『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』が、ついに今年8月末に公開されました。
この度、日本のメディア「Abema Times」が、本シリーズと『ワルプルギスの廻天』で脚本を手掛ける巨匠・虚淵玄氏にインタビューを敢行。 『魔法少女まどか☆マギカ』に参加したきっかけや制作当時の心境、そして現在に至るまでの心境の変化など、長年にわたる創作への想いと変遷について熱く語っていただきました。

虚淵玄氏はニトロプラスのPCゲーム『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』でデビューして以来、『吸血殲鬼ヴェドゴニア』や『沙耶のうた』といったゲームシナリオのほか、小説『Fate/Zero』やアニメ脚本など、多岐にわたって創作活動を続けています。 そんな氏が2011年放送のテレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』に参加したことは、当時アニメファンの間で大きな話題となりました。

以下、インタビューの模様をQ&A形式でお届けします。
Q:『まどマギ』放送当時、それまでハードボイルドな作風で知られていた虚淵先生が魔法少女ものを手掛けるということで、大きな話題になりました。改めて、本作に参加されたきっかけについてお聞かせいただけますか?
虚淵玄:当時、私が執筆した小説『Fate/Zero』にアニプレックスの岩上敦宏さんが注目してくださったのがきっかけです。 その後、「これから新房監督と蒼樹うめ先生で魔法少女ものを企画するのだけれど、脚本をやってみないか」とお誘いをいただきました。
ただ、正直なところ、魔法少女ものなんてどう書けばいいのかサッパリ分からなくて。それで、参考として『魔法少女リリカルなのは』と『コゼットの肖像』を見せていただいたんです。
Q:どちらも新房監督の作品ですね。
虚淵玄:なので、「この2作品の中間あたりを狙うような方向性で作ればいいのかな?」と自分なりに解釈しまして。 それで最初の企画書を提出したところ、OKをいただき、正式に制作がスタートしたという流れです。


Q:『リリカルなのは』と『コゼットの肖像』を知っていると、なるほどと納得感がありますね。 とはいえ、当時のアニメファンからすれば、この座組はかなり衝撃的だったのではないでしょうか?
虚淵玄:僕自身も驚きましたよ(笑)。ちょうどその頃は、僕自身がイケイケドンドンで、どんな仕事でもやってやろうという時期だったんです。だから、「魔法少女ものも面白そうだし、一丁、冒険してみるか」みたいな気持ちもありました。やったことのないジャンルに挑戦させてもらえること自体が、単純に嬉しかったんですよね。今思えば、「戸惑うのが面白い」と思えるくらいには若かったんでしょうね。
Q:今、当時手掛けられた作品を振り返ると、また違った感慨があるのではないでしょうか。
虚淵玄:今改めてこの作品を見返すと、10数年前の自分だからこそ、魔法少女たちが直面する葛藤に共感し、自分なりの問題意識を持って、あの物語を紡ぐことができたんだなと感じます。
こういう作品は、今の自分にはもう書けないなと、本当に痛感しています。もちろん、年齢的な変化もありますし、時代の移り変わりという要因も大きいですね。当時はまだ、若者が何を恐れ、何を求めているのかを想像できたつもりでした。でも、スマホやSNSが当たり前になった今の世代の子たちが、何に喜び、何に苦しむのか、正直、もうよく分からなくなってきています。

Q:今なお『まどマギ』には熱心な女性ファンも多くいらっしゃいますし、作中で描かれていることには、ある種の普遍性があるように感じます。
虚淵玄:作中のメッセージが皆さんにきちんと届いているのであれば、それはもちろん、とても嬉しいことです。もし今の若い世代も同じような感覚を抱いているのだとしたら、大人として、我々もそうした問題について考えていかなければいけないなと思います。
Q:以前、鹿目まどか役の悠木碧さんにもインタビューさせていただいたのですが、その際に『まどマギ』の放送期間を「まるでお祭りのようだった」と表現されていたのが非常に印象的でした。虚淵先生は今振り返って、『まどマギ』がもたらした影響をどのようにお考えですか?
虚淵玄:そうですねぇ…クリエイターの視点から言うと、『まどマギ』という作品そのものが与えた影響というよりは、むしろ、業界全体の転換点を象徴するような、「他ジャンルのシナリオライターがアニメの脚本に起用される」という状況の象徴だったのかな、という気がします。

Q:確かに、当時は美少女ゲーム業界で活躍されていた虚淵先生のほかにも、『Angel Beats!』の麻枝准先生や、『冴えない彼女の育てかた』の丸戸史明先生といった方々が、アニメファンから大きな注目を集め始めましたね。
虚淵玄:それ以前のアニメ業界って、もっと徒弟制度的な側面が強かったと思うんです。僕より上の世代の脚本家の方々は、まず誰か先輩のアシスタントについて経験を積み、そこから話数脚本、シリーズ構成と、一歩ずつキャリアを積み上げていくのが、アニメの現場では当たり前だったんじゃないでしょうか。
でも、『まどマギ』が特殊だったのは、そういった流れとはまた違う文脈で、世間から注目された点にあったのかもしれません。
Q:当時のコアスタッフの間には、「アニメ業界の常識に囚われない作品を作りたい」という意識があったのでしょうか?
虚淵玄:新房監督が「アニメの作り方をあまり知らない脚本家」を求めていたそうで、それで僕に白羽の矢が立ったと聞いています。今思えば、業界全体が他ジャンルから脚本家やクリエイターを登用する流れになっていく中で、『まどマギ』はその中でも特に目立った存在だったからこそ、注目されたんでしょうね。
当時は、ネットやブログの普及によって、それまでアニメしか見ていなかったような人たちも、他のジャンルに目を向け始め、美少女ゲームにまで注目が集まるようになった時代でもありました。僕がこのお仕事をいただけたのも、そうした時代背景があったからこそだと思います。
Q:アニメ業界のご出身ではないということで、当時はご苦労も多かったのではないでしょうか……
虚淵玄:いえ、大変だったというより、むしろメチャクチャ楽しんでましたね(笑)。当時は、苦労を苦労と感じていなかったフシがあります。
僕は言ってみれば、わずか1、2年で「促成栽培」されたようなアニメ脚本家なんです。そんなキャリアの浅い人間に、「アニメっぽくない脚本を」というオーダーで、いきなりシリーズ構成から全話脚本まで任せるなんて、今考えると本当に珍しい、というか無茶な話ですよね。でも幸い、「面白ければやっちゃう」という僕の性格が、逆に功を奏したのかもしれません。

テレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の放送から15年、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』の公開からも13年の月日が流れました。
アニメ業界を取り巻く環境も大きく変化した今、虚淵玄氏の視点から見れば、当時アニメ脚本家としてまさに「降って湧いた」ような大役でありながら、その才能を遺憾なく発揮した形となりました。しかし、ご本人はそれを「天の時、地の利」と捉えているようで、今の自分では同じ脚本は書けないと語り、さらには現代の若者の好みが分からないと嘆く姿からは、時の流れを実感せずにはいられません。
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