今や世界的な大ヒット作となった『どうぶつの森』ですが、20年以上前、任天堂社内では海外での成功は難しいと考えられていたそうです。このほど、海外メディア『Time Extension』のインタビューに応じたローカライゼーションマネージャーのレスリー・スワン氏が、当時の知られざる舞台裏を明かしました。
スワン氏によると、当時の任天堂の上層部はローカライズの難しさを繰り返し強調していたとのこと。その理由は、膨大なテキスト量に加え、日本の祝日や独特の言い回し、アイテムといった文化的な要素が満載で、単純な翻訳がほぼ不可能だったためです。彼女は「手塚卓志さんから『これは非常に困難だろう』と言われましたが、私は『私たちならできます』と説得し続けました」と当時を振り返ります。
初代『どうぶつの森』は2001年にNINTENDO64向けに発売されましたが、当時は日本国内のみの展開でした。海外でのローカライズが決定したのは、ゲームキューブでパワーアップ版が登場してからのこと。しかし、その道のりは困難の連続だったといいます。スワン氏によれば、チームは全キャラクターの名前を考え直し、それぞれに固有の口癖を設定。さらに、ゲーム内のイベントも欧米の文化に合わせて調整する必要があったそうです。
その困難さは、当時の任天堂社長であった故・岩田聡氏でさえ信じられないほどだったとか。「ある会議で『どうぶつの森』をローカライズすると伝えたら、彼は思わず笑い出して、『どうやってやるのか見当もつかないよ』と言ったんです。それほど、このゲームは日本文化に根ざしていました」とスワン氏は語ります。
ローカライズ作業には任天堂の法務部門も全面的に関与し、将来的なグッズ展開なども見据えて、すべての名称が慎重にチェックされたとのことです。
「チーム総出で、毎日家具のネーミングやキャラクター設定に没頭しました」とスワン氏。なんと、海外版のタイトルである『Animal Crossing』が正式決定するまでにも1年近くを要したそうです。ちなみに、スワン氏が個人的に一番気に入っていたタイトル案は「Animal Acres」だったそうですが、残念ながら採用には至らなかったと明かしています。
今や『どうぶつの森』シリーズは任天堂を代表する人気IPとなり、Nintendo Switch版は世界で驚異的なセールスを記録しました。当時の挑戦を振り返り、スワン氏は「チームが幸運にもこのプロジェクトに全力を注げたからこそ、海外展開は不可能とまで言われたこのゲームが、世界的なカルチャー現象になれたのです」と締めくくりました。
via: Time Extension