秋本治先生がジャンプで40年もの間連載した不朽の名作『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。もはや説明不要の国民的漫画であり、「少年誌の最長連載記録」を持つレジェンド作品として、多くの人々の記憶に刻まれています。
1976年9月21日、記念すべき『こち亀』の連載が『週刊少年ジャンプ』でスタートした日を祝い、集英社の電子書籍プラットフォーム「ゼブラック」が特別企画を実施。作者である秋本治先生ご本人に、当時の心境や創作の裏側を語っていただくスペシャルインタビューが公開されました。

秋本先生が当時を振り返ると、なんと『ジャンプ』への初投稿でいきなり入選し、そのまま連載のオファーを受けたとのこと。しかし、その心境は喜び一色ではなく、むしろ「本当に毎週、原稿を上げられるんだろうか…?」という大きな不安に苛まれていたそうです。
先生は「最初の頃は、1話分のネームを描くのに1週間以上もかかってしまって。本当は10話分のストックを用意するはずが、結局6話分しか作れなかったんです。だから連載開始直後から、いきなり自転車操業状態で、まったく気が抜けませんでした」と当時の苦労を告白。その過酷なスケジュールからか、不摂生がたたって十二指腸潰瘍を患い、薬で痛みを抑えながら執筆を続けるという、まさに満身創痍の状態だったといいます。
▼ 1976年、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が『週刊少年ジャンプ』に掲載

意外なことに、秋本先生が当初目指していたのは劇画漫画家だったそうです。60~70年代の劇画ブームに影響を受け、高校時代は戦争モノのリアルな漫画に没頭。なんとベトナム戦争を題材にした『平和への弾痕』という作品を描いていたというから驚きです。
しかし、劇画は膨大な資料集めが必要な上、その緻密な描き込みを週刊連載で続けるのは不可能だと悟った秋本先生。そこで、自身のルーツである地元・葛飾区亀有での下町生活にインスピレーションの源を求めることにしたのです。

『こち亀』誕生のきっかけは、当時大ヒットした映画『ダーティハリー』。当初は本格的な刑事モノを描こうとしたものの、資料不足の壁にぶつかり、舞台を身近な「派出所」に設定することに。さらに、とにかく「目立つタイトルにしたい」という思いから、あの日本一長い(かもしれない)正式名称『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が爆誕しました。先生曰く、「編集さんからは『表紙に載せるのが大変だ』って言われましたけど、とにかく目立てば勝ちかなと(笑)。結局、最後までこのタイトルで通しましたね」とのこと。

そして、主人公・両津勘吉のキャラクター造形にも秘話が。東映のヤクザ映画が持つハードな雰囲気と、国民的ドラマ『男はつらいよ』の寅さんのような人情味あふれる下町のユーモアを融合させたのが、あの"両さん"なのだとか。秋本先生ご自身はタバコも吸わず、お酒も飲まず、競馬もしないそうですが、そういった文化に詳しい親戚の話をそばで聞きながら、キャラクターに落とし込んでいったそうです。
作中に夏のエピソードが多いのも、先生自身が大の夏好きだから。子供の頃に下町で体験したカニ捕りや紙芝居、銭湯での水遊びといった思い出の数々が、『こち亀』の豊かな世界観を育む源泉となったのですね。

そして何より驚くべきは、1976年の連載開始から2016年の完結まで、「何があっても毎週19ページの原稿を仕上げる」という信念を貫き、一度も休載しなかったという前人未到の記録です。先生は「正直、40年も続くなんて夢にも思っていませんでした。最初は『まず10話続けて、単行本を1冊出す』のが目標だったのに、気づけばこんなことになっていました」と、感慨深げに語ります。

今や『こち亀』は、一漫画作品の枠を超え、日本の大衆文化を象徴する存在となりました。今回の貴重なインタビューからは、一人の漫画家の「不安」から始まった物語が、いかにして不滅の伝説となったのか、その裏にある熱い情熱と揺るぎない信念が伝わってきますね。
via: 電子書平台「ゼブラック」